ミントの飴を小さくなるまでベロの上で転がしていたら、あともう少しというところでつるっと喉に落ちていってしまった。
おっぱいの間のもう少し上のあたりがスースーしているようで熱い。
今、こうして普通に生活するということが自分以外のものから脅かされ流とは思っても見なかった。生まれてから幼少期、小学校中学校、高校、専門学校、はなちゃんとの生活、自分の生活、そして生活はシーズン7に突入している。生活とコロナ、他人そして自分編。
売れたいとかお金持ちになりたいとか、人気者になりたいとか、贅沢をしたいとかそんなことも、大それたことを望んでいるわけでもないのに。どういうわけかうまい具合に進んでいかない。ぐねぐねまがり、乾いた毛先に現れる枝毛のように心もとなく分かれていったりする。
人生は思ったよりもドラマチックに年月の線を進んで行くものだと思っていた20歳の頃。
人生は映画でも、映画のようでもないがそう思えるシーンはたくさんある。
シーズン7にして中だるみを解消すべく、無謀な設定がたくさんぶっこまれていて物語は迷子状態。どこに向かうねんこのドラマ!とツッコミを入れながら続いている。
毎日だらだらしていてもそれなりに命をかけてだらだらして、ご飯も作って、食べたいものも食べ、好きなものを見て聴いて過ごす。ベランダに出ればいつの時間も日差しが暖かいので鳥を探したり、家中掃除機をかけて回ったりする。
ただ今日は目が覚めてから、今日とは時間の感覚が違う。
だから、だらだらしてやった。意味もなくケータイを見て、ベッドにお菓子とゲームを持って行って。夕方になるとケータイの電池が切れた。ハッとして日がくれた時の悲しさとも違う残念さを思い出し、コーヒーを入れる。夕方17字にしてやっと1日を始める。窓を開け放ち、スピーカーから好きな音楽ばかりを流し、雰囲気を変えるべく、部屋の扉を取っ払って、ハーゲンダッツのキャラメルホリックというアイスを食べた。
1日は長い方がいい。できるだけ有意義に過ごさなきゃと思ってしまうがそんなこともない。家の中でする用事くらいなら案外すぐ終わる。
夕方からでも遅くはないし、悪くもない。日が落ちる頃に全てを終えて、お皿は夜遅くなれば自然に洗っておきたくなることをわたしは知っている。最高じゃないか。
来たる日々のためにわたしくらいは明るくいてほしい。と、わたしは思う。
そういうときまでソファでゆっくり本を読んでいるのが今は一番しっくりくる。
本の中に光る言葉を見つけたら、わたしも誰かのためになればいいなと自分のために言葉を書く。
さっきの飴は溶けずに体の中から穴を開けていった。風通しが良くなったように感じる。スースーするミントの飴だしね。