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むらたえりこです。

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通常運行

ああこれは、好意だなって思う所作や言葉を見た。

もうそんなものいらない。嬉しいけどいまのわたしには大した事はない。

だってみんなが当たり前にいう事だし、なぜそういうことをしてくれたのかを聞きたい。そうじゃないと満足できない。

 

付き合う付き合わないってなんだっけ!恋愛ってなんだっけ!

周りが聞くから考える。

あんなに恋愛体質だったのにいままでのそれが実際になんだったかわからない。

付き合うっていうのは遊びで、だけど人のことをおもう事だから疲れる。

疲れる遊びはしたくない。

 

モノではなくて人間のことだから、人を好きな時はその人の人生が変わるくらいその人のことを好きになりたいとおもう。いつも新鮮で、いつもキラキラしていたい。

いけてないメンズと付き合うのはよくないね。 

違う。恋愛だとか付き合うだとかそういうことを考えたいんじゃないし、今までそういうことを考えていたわけじゃない。全然そういうことじゃない。

世の中との絶妙な混ざり合わなさを考えている。

なぜか、なぜかと考えるのはわたしが写真をやってる故のアイデンティティーというかなんというかそういうもの。

ただ普通にみんなが考えるような考えに憧れているし、理解したいと思うからなぜなぜ?ってなるんじゃないかなとおもった。

ただそれはどこまで考えても理解できなくて、理解できないことにまたハテナマークが浮かんでくる。

それは今までのなぜ?よりももっと強力で魅力的なような気がしてしまう。

わたしには教養がないからいろいろなことを見極めるやり方がわからない。

 

高校の校舎が目に浮かぶ。

授業中は本ばかり読んで、他の女の子が書かないような汚い字をノートの細い線を無視して書いていた。

何をすれば他の子と違って見られるか、何を身につければそういう扱いをされるか分かっている。

ただ、それをやっていたんじゃなくてそうなってしまうんだから別に大変でも難しくもなかった。

 

教養ってどこでつけるんだろうか。高校の授業では絶対につかないだろうな。写真について考えていた3年間は大学に行って経済を勉強するよりも、飲み会に行って先輩にペコペコするよりももっと頭を使った。

世の中のいらない上下関係も捨てて、好きな先生と先輩と一緒にお酒を飲んで、写真を作って、たくさん笑った。

 

 

間違ったことをやっていると、自分のことを忘れる。

だったらわたしは毎日でも間違ったことをしていたい。

恥ずかしいこともプライドも捨てて。

くだらないハテナマークが見えなくなるなら、なんでもしたい。

 

正解がこうだってそう言われないように。言われても、わたしが肌に感じたことでパーンッて跳ね返せるように。ずっとずっと間違えていたい。