友達と帰りの電車がいっしょになった。
わたしの飲んだウーロン茶を、見てサッと手を出したので彼にペットボトルを渡した。
飲み込んだウーロン茶は少ししたら左の奥歯にピキーンとしみて痛かった。
「疲れたー」とか
「ねー」と、今日あったことを一通り話すと、唐突に今後どうするのか聞かれる。
「え?今後ってそれは将来とかのこと?」
「そう。」
「どうするかな〜どうしよう。もう少し働いたりはしないかもしれない。わたしにはまだ頑張りたいことがないのかもしれない。そういう理由がないし、世の中のことはよくわからないかな〜」
「そっか、でも女の子は結婚すればいいよね」
ウーン
みんなはどうしてそういうのだろうか、まったくわからない。
結婚なんかしてしまったら、いずれ自分が思うような生活や仕事なんてできなくなる。子供なんてできてしまったら余計にそうだ。
彼は仕事をしなくてはいけないということに悩んでいるらしかったのに、人のことは結婚で片付けた。
もちろん結婚し、母になることは女という性別にだけある特権だけど何かをあきらめることや、やりたくないことから逃げる理由にはしたくない。
違う違うこんなことを言いたいんじゃないんだってば!
わたしの夢はすてきなおかあさん、おばちゃん、おばあちゃんの全部になることだもの!
遊び方、映画、音楽や本についていろんなことを子供に教えてあげるんだもの!それが夢よ。
だからその友達にもそれを伝えた。
「そっか、そうだね大家族のお母さんとかになるといいよ似合う。」
確かそう聞こえた。地下鉄はうるさいから好きじゃない。
朝みんなを叩き起こしてたくさん目玉焼きを作るのを想像しながらあーだーこーだって返事をした。(忘れた)
「あー明日休みたい。俺、明日江ノ島とか由比ヶ浜とか海に行こうかと思ってた」
「千葉の海がわたしは結構好きだよ」
「へーどこ?」
グーグルマップを開いて場所を教える。
「ここ。ここが茅ヶ崎でそのこっち側。」
「へー。あ、もう降りなきゃ。じゃあね」
と、バタバタ人の波に流されていっちゃった。
海の話を最後にしたけれど、心の方は少しだけずっしり重たくなっていた。本当に少しだけ。
1人になって音楽をきく。シャッフル再生にすると、いつもは聞かないけど好きな曲が流れてくる。
安っぽくって若い曲だ。
映画をみていると素晴らしい音楽が流れてきたりする。脳みそがそういう感じになった。
こういう時に自分の人生は映画なんだと思う。
なにかBGMのようなものまでついているみたいだ。
そうやって音楽をきいていると、わたしはいつの時代にも青春をして生きていくんだなあと思った。
今も、お母さんになっても、おばちゃんになっても、おばあちゃんになっても。
そうじゃなきゃ困る。
友達が迷う今後のことも自分のことのように感じてしまうのは、その友達の気持ちは絶対に理解できないと思うからで同情とはまたちょっと違う。
この話をはなちゃんにしたら「自分を遠くから見ているみたいだしね。」と言っていた。
自分には誰かのために考えたい今後もなければ、今後のために考えたい誰かが明確にいるわけじゃない。
けれど、誰かのことを考えたりすればその都度たくさん感じることがある。音楽をきけば、心からは何かすてきな気持ちがじわじわと湧き出てくるし。まあ、要は幸せに暮らしていますってことよ。
大事に思っていますあなたのこともこの街や、今ここにいることも。