p.s昼間や夜中SNSにいる人たちが減った。
きっとみんな仕事が始まったのだろうね。
誰かが書いたものを読むと元気が出る。
きっとそう思う人もいるし、何よりいま自分が人の書いたものを読みたいから書くことにした。これが3時間くらい前の話なんだけど愚痴みたいなものになったり、被害者ぶってたり、嫌な思いをさせたいと読まれてしまうようなものを書いては消しを繰り返し、この延長線上でいいと思うものが書けるわけないと諦めた。
その後はハガレンをアニメで流し見て、数独をやったり、スーラータンみたいなスープを作ったり、チョコパイを食べたりしたけどどれもしっくりこなかった。
もう、画面を見すぎて疲れた。
でもそんなことくらいしかいまはできない気がする。1人で暮らしているわけではないが1人の時よりつまらない。だから画面に頼るしかない。
本を読み続ける忍耐力もないが、時代の流れに逆らってても仕方がない。ケータイがなくてはならないものになったのは悲しい。でも別にいい。そうやって歌も絵もマンガも本もテレビも映画も存在しては薄れていったりしていたのだろうから。
最近はまだ見ぬ好きな人に想いを馳せてばかりいる。恋愛が好きだと思うことよりもよくわからないという気持ちの方が大きいけど、人を好きな自分が好きなんだと思う。あと好かれたら心地が良い。
非常に傲慢だけれど、好きだとぽーッとしていたりうっとりしていたりするその夢中な感じが絶えず続くのが好きだ。何をしていてもその夢中な感じは続く。
そういうのがアホらしくて今住んでいる人となら冷静に居られると思って付き合いだらだらと一緒に住み始めたが、自分に嘘をつくのはやっぱり苦手なことだった。
ぽーッとしている自分のことまで好きになれて、世の中のこともこれから先のこともそんなことどうでも良くなるところにいたい。
時代のことを考えると、誰かとペアになることが最善だとは言えない。
型に囚われず大きく人と繋がり合っていたい。
ただ、そうは言ったもののわたしはまだ変わり目の世代なので両方に憧れる。
番になり一生添い遂げたりすることも、新しい人間関係のことも気になるが、感覚的に馴染み深い前者にいまは興味がある。
まあ、そんな細かいことはどうでも良い。
ただ、すてきな人に出会いたいと思っているだけ。
ちゃんとわかってくれている人はわかると思うけど、SNSで書くようなことや面倒な思考の旅も本当に望んでいることじゃない。
単純でいると、突然ライフルの弾が頬をかする時がある。それにいちいち撃たれていては回復に時間がかかり、下手すりゃ死ぬ。
だから対抗する武器を持つことや防弾チョッキを着たりすることだと思う。言葉にしているのは。
本当はたくさん眠り、芝生の丘で走り回ったり、音楽を流して踊ったり、疲れたらレジャーシートしいて作ってきたり作ってきてくれたサンドイッチを食べ「おいしいね、たのしいね、うれしいね」って言えれば良い。
だから、これから好き合う人がわたしのそういうところをわかってくれれば良いなと思う。
自分でネタばらしをするのって格好つかないかもしれないけど、今日はちょっと言っときたい。
皆自分の装備を人に見てもらいたい。わたしもそう思う。そしてみんなのその分厚い装備の中のことまで考えたい。大好きだから。