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むらたえりこです。

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今日

可愛がりたいからはだめ。buddyとして動物たちと暮らしていくべき。

動物虐待をする人は死刑でもいいと思う。

でもそうするとボーダーが難しくなりそうだ。

 

世間は多数派の意見で成り立っているから、みんなが社会だとしている社会では馴染めないルールも意味不明なルールもたくさんある。たくさんありすぎるので割愛。

だから自ずと少数派である人たちはへこたれないように無理したり知識をつけたり本当に頑張って挫折しまくって強くなったりするしかない。

わたしにはそういう少数派だからこその強さとか、感覚とかを持っていて、それが全てではないけどわかりやすいアイデンティティになっていると思う。アイデンティティと言えるほど強いものでもないが。

 

しかーし多数派の人でも強くたくましく素敵な人っている。繊細な感覚もみんなに還元しやすいパワーに変えることができる。

 

他人と自分を比べるもんじゃないと、いにしえの頃から言われておりますがまあこういう時。

わたしはこの人に勝てる部分があるのだろうかと言葉にも実感にもならない程度軽く絶望する。

マウントとかではなく、

素晴らしすぎて眩しすぎひん???ムリやわワシ

と消えたくなってしまう。

でもそういう人って目を見て話したりしてくれるから消えそうなわたしのタマシーをぐっと掴んであるべき場所に留めておいてくれる。まっすぐな眼差しを受け、恥ずかしさと高揚の間であっという間に心を奪われてしまう。

 

何を言いたかったかと言われると特に何もないけれど、すごい人はどこに行っても責任を持って素敵に振る舞うし、少数派で頑張る自分も大変だけど好きだということだ。

 

ただ、多数、少数で分けなければならない社会の分からず屋システムをわたしは一生許さないし、隙あらば生きるセンスのないおじさんたちが牛耳る国家を混乱させたいと思っている。

 

本読んだら気分が良くなった。

 

 

 

・お・わ・り・

お口ミッフィーちゃん

しんどくてめんどいのではてなで更新する。

 

わたし思ったことは言わないとショウカできなくて、それがストレス。

嫌なことがあればけなしまくる。うれしいことたのしいことはうれしいとたのしいと言いまくる。

そうでないと死ぬ。

 

聞いてくれる相手がいないと死ぬ。

 

しかし、最近それがどうもツイッターで吐かなければ溜まりまくってしまうということになった。

インターネットのもくずにならないと自分が思ってることへの気持ちというか感情が大きくなりすぎてしまうような気がしている。

これはもう一種の強迫観念。

 

でもだからと言って本当のことを言っているわけではない。

インターネットで怒りをぶちまけ暴言を吐きまくっているが本当のこころはそこにはない。

わたしのほんとうのこころを侵してきたときに、デーモンな部分が出ちゃうだけで。生自認はまじで二歳。はじめて読んでもらう絵本がめくるたびに世界のはじまりでぶわあと飛び出て見える気持ちに似てる。伝わるかしらこれでわたしのほんとうのここと。

あたたかい気持ちを守るためにトゲを見せているのかもしれない!ニャハハ!何言ってんだい!ワハハ!!!

 

 

ーーー

 

 

 

実家に帰ってからタバコ一本も吸ってない。

周りが吸わないとなんとなく吸わなくても大丈夫なんだ。たくさん吸ってるとかじゃないけど。働かなくていいし、あーあれどうしようとか、あれやらなきゃーとか、あいつまじで意味わかんねえこと言ってくんなこっちはザコに興味ねえんだようぜーなと思うこともない。からひと息つくということを目に見える儀式にしなくてもいいからなのかも。

誰かのいれたコーヒーが絶対と言っていいほどあるのでそれに豆乳をたっぷり入れて飲んでいる。

実家と柴崎。どちらにいる自分も好きだ。

 

 

ところで話は戻るが、なぜツイッターに嫌悪感を覚えたかというと、んまそんなこんなでわたしツイッターをよく使う。フォローしてるのはほーぼ友達だけだから偏見まみれのことを勢い任せで言っても、テキトーに言った大して意味のないこととかも、なんかわかってもらえてる感がある。

しかし、付き合っている子がツイッターでの発言を真摯に受け止めすぎてしまうのでちょっと自分の発言に責任を持たなければならない人ができて肩身が狭くなっていた。ブロックするだのしないだの、あれを言ったこれを言った、どうしてそんなことを言うのかとか散々言われた結果フォローし合わないと言うことになった。

ツイッターをよく使うカップルはツイッター関係の争いが多いと言う研究がされたらしい。

 

あー阿呆らしい!って思ってたのに。

インターネットが当たり前の世代なんだから、リテラシーがあったり、人によって使い方が違うことくらいわかってろよ。と、馬鹿にしてたけど人間関係の形で起こる問題が自分の鬱憤晴らしのインターネットのもくずのせいだったなんてそっちの方が馬鹿だし阿呆すぎる。

それに好きな子の嫌がることを変わらずやり続けたくない。

 

そんな葛藤が故しばらく鍵アカウントにしていた。しかし、ブログをもっと知らない人に読んでほしいなーとか思って鍵を外してみた。

そこでちょっと彼氏とラインしてて思ったことをツイートしたんだけどなんかもしかしたら彼氏は見てるかもしれないんだよなって思ったらなんかいろいろ死にたくなってきてまた鍵をつけた。そのツイート結局消したんだっけと思いながらツイッターを開こうとしたけどやめるわ。明日はツイッター見ない派の人になろ。

 

昔付き合ってた子はツイッター見ない人だったな。その昔付き合ってた人は結構年上だったからなんと言うかこうまたそんなこと言ってーみたいな感じだったと思う。インターネットの使い方は人それぞれだが、わたしがツイッターを使うのは、友達の言葉や考えが大好きで本当に尊敬しているのでそういうものをみて元気をもらいたいから。だから使えない政治家や#metooみたいなやつ世界のネガティヴなこととか本当に見たくない。インターネットはたのしい場所だから。でもそこにすがってるってことは全然ない。友達や、作品を好いてくれる人にはちゃんと会いたい。一緒にコーヒーを飲んだりしたい。それがいちばん手っ取り早く原始的な本物のコミュニケーションだと信じてる。

インターネットで知り合った人とかにわたしは会えない。かなりこわい。未知の世界だし、インターネットで会おうとなる人にはきっとちゃんとした理由がある。

共通の趣味を話すため、趣味をやるため、デートやセックス目的、ただ会うみたいなのやってる人もいるけどそれもなんか気持ち悪い。飲み屋に行けよ!とか思っちゃうからわたし心の中におじさんがいるの。

 

ってことでハイ!落ち着きました。

頭の中にある気持ちを1文字ずつ外に出していって頭の中を空にする。

まーじで最高に気持ち良い。気分が乗らないとできないが一生やめらんねえんじゃねーかこれ!

 

スッキリしたとこでまとめさせてください。

ツイッターの件は大方わたしの精神力、包容力、譲れなさ、苦手意識から来ていることだからすいません本当に。

どうしようもなく性格の悪い女って思われるのかな...違うと思うんだけどもしそう思われてたら...だから...世界中に謝ってる...

 

インターネットに.のせて.......