ブログ

むらたえりこです。

🦕🦕🦕みんなの交換日記はこちら🦕🦕🦕


戦場

長かった自粛生活、2ヶ月の間働くことはなく家の中は戦場でした。

今はどうかと言われると戦場ではないとは言い切れません。昨日以前同居人からもらったものが全てなくなっていました。

別に無くなって悲しいというような思い出深いものは1つもなかったのでその腹いせのような行為にだけ腹が立ちましたが、自分の存在を思い出させるものを自ら無くしていったことが良い思い出までを根こそぎ持っていくことに彼は気が付かないのでしょうね。

終われば無くなる、見えなければ終われるようなことではないことが生きていくことの難しさだなとそれも知らないのでしょうね。

だからこそ苦しまねばならないのだと思います。人生には失敗するチャンスと傷つくチャンスがあってそれを選択するかしないかはコンディション次第だとは思います。でもいずれツケは回ってくるのです。

 

悲しみには寄り添わなくちゃいけない。

辛いことには立ち直るまでじっくり時間をかけなきゃいけない。

 

緊急事態宣言が解除され仕事が始まって、約1週間。

久しぶりに先のない休みを過ごすように羽を伸ばし、気がつけば0時半。友達に少し会い、回転寿司に行って散歩してアイスを食べて、家に帰って好きな映画を2本見た。ただこうやって時計のことを時間のことを考えずに1日を過ごすことがもうすでに懐かしかった。

 

f:id:echp:20200604003545j:image

 

日記しか書けなくなってしまったのかわしゃ

定期

届く!とどく!!

 

定期的に!!!

自分がどこの線の上で生きているのかわからない時がくる!!!

 

自分がどの線の上を歩いているかなんぞわかりゃしないのですがねzZ

 

しかし、理解してあげたり寄り添ってあげる気持ちは甘いなあって思いました。人にしてあげ“てる”ことって別に何にもならないんだよねー

だからもっとなんか普通にできることしていこーと思う

していこうと思うとかじゃなくてできることだけできるんだよねえ。

 

吉祥寺で本でも飲みながらコーヒー読みたいでがす。

 

 

二ヶ月ぶりにラーメン屋さんに行った

今の家の最寄駅は各駅停車しか止まらないこぢんまりした駅だけど、15分くらい歩けば快速の止まる駅と、10分ちょっと歩けば準特急の止まる駅快速の止まる駅に挟まれてる。

散歩がてら15分の距離にある駅に買い物へ行った。

甲州街道をぺたぺた歩いてると、途中でお腹がすいてラーメンのことしか考えられなくなる。

世の中がコロナだからと自主的に外出を控える前に、友達と来たラーメン屋さんがその駅にはあるからなのか、ここに来る=ラーメン!と体が覚えてしまったのかもしれない。

 

全てが曖昧な緊急事態宣言の解除。しかしこれをいいことにわたしはラーメンを食べることに決めた。

 

夕飯の買い物をする前に、ラーメン屋さんに入る。

本当の本当に二ヶ月振りの外食で気持ちが落ち着かない。

見ず知らずの人に罪を被されるのではないかとか、一瞬の外食でウィルスを広げてしまうとか言われるのではないかとか、見えないことが頭をざっと過ったが食券を買えばラーメンは食べられる。

機械にお金を入れて食券を買う。店員さんが席に案内してくれる。店員さんとはいえ見ず知らずの人に世話を焼かれてるなあと思ったし、スーパーやコンビニ意外で人の仕事に触れ合うのは久しぶりだった。

ラーメンを待ってる間もパラパラと、お客さんはラーメンを食べに来る。

 

少し時間が経ったのでTwitterを見てみる。

友達の憤った声や、テラスハウスのこと、政治のこと。

また不穏な空気が漂い始めてるな。

と思ってたらラーメンができて、食べた。

この何が危険だったんだろうかと思わされるほど、なにごともなくラーメンを食べ終えて、本当に馬鹿馬鹿しいなと思った。

5月25日になった瞬間にコロッと状況は変わり、誰かに何か言われるわけでもなく「お店も空いているので外食もなんとなくオッケー」みたいな感じになり、やっぱりわたしはラーメンを食べにきた。食べる前に手を洗い消毒をしないことも、カウンターには調味料とダスターしか置いてないこと。これのなにがおかしかったんだろう。

 

人は一度生活水準をあげると、もうその前の生活には戻れないらしい。

 

お店やお客さんを守るために食べる前に手を洗って消毒をすることに躍起になっていたことも、カウンターに置かれていた消毒液も、なんだか夢のような話で掴みどころがなかった。