ブログ

むらたえりこです。

🦕🦕🦕みんなの交換日記はこちら🦕🦕🦕


『なまぬるいコーヒーブレイク』

冷たいアイスコーヒーは美味しいのに、冷めたホットコーヒーはどうしてあんなに不味いんだろう?氷っていう存在が冷たさには重要なのかな?

 

えりこは体温と同じくらいの生ぬるい牛乳たっぷりのコーヒーを一口すする。ほろにがくまったりとやる気のない液体は体にさらりと馴染んでいき血に流れていく。

タバコの匂いがうっすらと香るカフェテリアの店内に浅く腰をかけマフラーを巻いたまぼうっと空を見つめている。携帯を見てもなにもおもしろいことはおきない。誰も面白いことを呟かないし、魂のこもった写真なんかアップしない。みんななにか他人に期待している。こんな小さなものから世界など広がらない。こんなに技術が発達していても打ち合わせなんかはメールや電話よりも実際に会ってやったほうがいい。会えば五分で済む。数字や文字ではなく相手の体を見つめることで信用と満足も手に入る。みんなまだ人と人との熱みたいなもの、暖かさを求めていることをわたしは知っている。今は時代の変わり目の時代だから、古きよき風習や人間のことを大切にすることも、まだ、少しだけ残っている。そんな時代の真ん中よりやや終わりに生まれたのでいろんなことがまぜこぜだ。それではこちらに、と思えばあちらに。と言う具合に。

物事を変えることというのは少しの調整でもその物事を全部変えてしまうことになる。

行きで膨らませた風船か、ヘリウムガスで膨らませた風船かというのは手を離して見ないとわからないのだ。

 

えりこは専門学校で三年間写真を勉強したのだが、世の中がいう社会のことが理解できず、好きになるつもりもないので写真でお金を稼ぐことをひたすらに避け今はカフェや飲み屋でアルバイトをしている。そんなフリーターでもいち製作者の意識は高く持っていて、毎日なにかつくりたいと、作らなければと脳みその中で暴れまわっている。しかしもう24歳にもなると”若い面白い”とか”若かったから面白がれたこと”というのが段々に減ってくる。時代もそうだがえりこの歴史も変わり目の時代なのだ。

 

日常をいくら慈しんで愛の眼差しを持って見ていても、生活の中には大して面白いことなんか起こらない。それでは普通のことをネタとして製作すればいいと思ってみる。でもどうしてもそれができない。普通のことというのは文字に花を添えず、意地悪なことに写真にちょこっと写るくらいなのだ。

みんなが面白いって言ってくれるものを作りたい。誰かの足掛かりになるようなものを作りたいし、そういう人に出会える口実としてやっていきたい。

来年くらいには、次のシーズンくらいには、体が勝手にできるようになる。と思い続けて三年が経とうとしている。焦りと諦めが体の中で水と油のようにたゆたっていてもうどうしようもない。この二つが仲良くなって、熱が加わって乳化でもしてくれればいいのにと、発想だけがぴょんぴょんと飛躍していく。

 

冷めたコーヒーをぐいっと飲み干し、オエっとなりながらカップをカウンターに返す。

行くあてもなければ帰るには少し気が重くなってしまう距離に立たされ。冷たい風にグイグイと背中を押される。

 

今年初めての春はどういう気持ちになるんだろう。生きていること以外に何ができるようになるんだろうか。思い詰めても、考えすぎてもわからない。わたしたちはやっぱり死んでみないとわからないのだ。

 

f:id:echp:20190126161729j:plain