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むらたえりこです。

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時、時々

 

 

ときどき、全く別の線の上に立ってその人生を送りたいと思う。

主には色恋の面で。

恋なんて燃えないほうがいい。命まで燃やしてしまうから。

落ち着いて相手のことを見れていたほうがいい。それでもわたしは燃えているのだけれど。炎というのは燃えるための材料が必要でしょう?生きることを燃やしてしまうのはダメなのよね。

生きることの美味しい部分っていうのが恋なのだから。

 

今日久しぶりに恋愛が遠く描かれていない映画を見たんだけど、失恋した時の時間の流れというのがなんとも懐かしく、そして特別に思えた。

またああいう風に時間を見てみたい。

けど、性に合わないよね。今は平和な国に住んでいるような気分だから。

 

また久しぶりにバイト先の同い年の社員の女の子にカチンときて二日連続で注意をした。彼女は昼飯休憩に行く時に言ってきますを言わない。普通に考えてそんな人はいないのだが彼女は言わない。別に言わなくても誰がどれくらいのタイミングで休憩に行くかくらいわたしにはわかるのだが、当たり前にいうことが言えないというのはちょっとどうかと思うのだ。

「ご飯を食べるんだったら、休憩行ってきますとか、ご飯行ってきますとかいったほうがいいよ。」

「あなたはみんなに聞こえるようにワーッとご飯行ってきますっていうけどわたしはそういう人じゃ無いし、そういうことを注意するなら自分のことも振り返って言える立場かどうか考えてから言ったほうがいいよ」

と彼女は反撃してきた。

わたしが言いたいのは立場の話では無いし、むしろ立場を考えたほうがいいのは写真の彼女だ。別に社員がどうとかバイトがどうだとかそんなことは言いたく無いし、わたしが働く上では関係ない。完璧じゃないと人に注意できないのか?

完全に勝ち負けの感覚で挑んできている。わたしは何を言ってやろうかと前日から考えていたが、呆れて物も言えず「そういうことじゃなくて...」といったら

「ハイ、ジャアコンカイワ、ワタシガワルカッタデス。チュウイシテイタダイテ、アリガトウゴザイマシタ。」と言い放ち、怒りで少し潤んだような目を貼り付け、キョトンとした顔でこちらを見ていた。わたしには心底どうでもよかった。

ただ責任感もなく生きていることに気が済まなかっただけだった。

24歳にもなって、もやもやしちゃって気にくわないからと相手に直接想いをぶつけるだなんてわたしもどうかしているのだ。言い方がきついなどとも言われ、ゆとり世代を叱ってはいけないとテレビでしか見ないような真実を突きつけられた。本当に叱ってはいけないのだ。

今回相手がきついと思うことを言ってしまったことをすごく悔やんでいる。申し訳ないと思った。でも申し訳ないことに、意地悪な言い方もきつい言い方も一個もしてないのだ。相手に不快な想いをさせたのはわたしが悪いのだ。相手がきついをおもったら絶対にわたしが悪いのだ。聞こえない挨拶はあいさつに昇華されないのと同じだ。

大したことではないし、わたしも言えた口でないのは自分が一番分かっている。だからこそ大きくとらえて欲しくない。同い年同士の注意やあーだこーだなんて痴話喧嘩よりくだらないのだ。

それを怒られたことだけに集中しショックを受け、中学生かのような回避をされたことにとても怒っている。まあどうでもいいけどね。

わたしには愛すべき生活や、その生活に賛同し、参加してくれる人がたくさんいる。

人は慣れすぎてしまうと、くだらないことができなくなってしまうのだ。

ぶん殴られながら育ったわたしは理不尽だと思うこと以外には折れない。傷つくことは傷つく。

 

まあんなこたどうでもいいのだ。なんどもいうけどどうでもいい。ただ自分と同じ空間にいる人が無礼を働いたら注意する。どうでもいい人でも気が済まない。きもいなまじで。

 

職場にいる人なんてどうでもいい趣味が合うとか、面白い人かとかそこにひっかからない職場の人なんかまじでどうでもいい。わたしはくだらん絆なんて育むつもりはない。世界を愛するために忙しいのだ。会いたいと思えば会える。小学生の時、近くに住む友達が引っ越した。この世の終わりかと思った。あの時の世界はとてつもなく広かった。広すぎてどうにもならなかった。

 

自分の思うことが正しいと思いそれを人に注意するなんて本当はやりたくない。そもそもわたしの周りにはそんなこという必要がある人なんかいない。人に嫌われたくもなければ嫌いになることの方がもっともっと100万倍くらい最悪だ。

 

昨日の西武での打ち合わせはたのしかった。

変だなと思った。

自分がいろんな世界線に立っていて、愛する人と、それを引き立てるようにどうでもよく寿命だけをすり減らして生きているような人の両方いることが。

 

最初に全く別の線の上に立ってその人生を送りたいと思う。と言ったが、今もうすでにそうなのかもしれない。普通に生きているとそうなるのかもしれない。

今失恋なんて味わいたくない。今抱きしめることのできる人とずうっと一緒にいたいと心から思う。ひとりひとりを抱きしめ右手を上げて誓いを立てる。

そうやってたくさんのレストオブマイライフがわたしにはいるのだ。

魂をすり減らして生きている。

生きていると時間が過ぎていく1分ずつ。意外と長い。

歳をとってからもたくさんの楽しみがある。それは全部わたしが自分にとっておいていることなのだ。なにも、なにひとつ後悔していることも後悔なんてできることもない。

 

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