毎日しあわせに生きている方だしこんなこと言うとあれかもしれないけど
ほんと幸せになりたい!
多くを望んでいるわけでもない非常にシンプルな形の幸せを胸に留めていて、それが欲しい。
自分一人では手に入らないものなのに、二人になった途端に見捨てられる感覚。
これはわたしがわたしをないがしろにしているからかも。
いたって普通に毎日を過ごし、時間ができればコーシーを飲みに出かけ、ちょっとしたお散歩ができればいいくらいに思っている。
満員電車を避け、誰を嫌うこともなく柔らかに議論ができればいい。
自分を守るために他人を攻撃することなく、あたたかい言葉を使っていきたい。
少しの雨になら体をさらしていたいし、インターネットは賢くちょうどいい距離感で使う。こだわりは人に見せつけず、ものを作るときは自分が苦しくならないようにルールを捨てる。
身の丈にあったこと、年相応を心がけていたい。
親しき仲にも礼儀ありということを忘れずにふざけまくりたいし、そういう人と一緒にいたい。
良いところが見えたらすぐに褒めたくなっちゃうし、みんなのことが大好きだ。
信頼関係を存分に使ったコミュニケーションに身を委ねていたい。
嫌なことには嫌だと言い、言えなければ嫌な顔をする。
自分が傷つくのは良い。でも自分が言った言葉に予期せず相手が傷ついていたら?わたしがそばにいることがいいことなのか?
わからない。自分一人じゃなにもわからない。
わたしの問題ではなく相手が抱えている問題。
本人は気がついていない時、わたしの指摘は正しい方向に進んでいくのかな。全然わからないね。
愛を注ぎあい、愛を注がれているとわかる時。
認めあうことができている時、思う存分に飛べるのはわたしだけじゃない。
ただみんな他の事に目が移ってしまっているだけなんだ。満員電車、インターネット、誹謗中傷、評価、目的、目標、愛されないこと、愛せないこと。
変わろうと思えば全部変えられること。
問題をきちんと見つめないとその問題は悲しくなってどんどん大きくなって爆発してしまう。それじゃ遅い。
みんなさみしいんだ。だからちゃんと見ているよって教えてあげたい。
今よりずっと辛くなったらわたしのことろに来て欲しい。わたしはずっと見ていてあげるし考えてあげるし、あなたの問題を悪いとは思わないから。
でもわたしが信じているかみさまが相手には見えないとき、わたしはどうすることもどうしてあげることもできない。
だからそのときはわたしと一緒の場所に立っておんなじものを見て欲しい。わたしにはどう見えてるか教えてあげるから。
お願い。
愛が滞らないように。それだけでいい。
いい顔でね、生きたいの!会いたいの!