各停でゆっくり実家そばの病院へ行くことにした。
話を聞く方にも機嫌やコンディションがあることを忘れてはいけないなって思う。
わたし最近本当に外の世界が怖くて。
外と関わることなんてないのに、関わってもいない人たちのことを平均にしたり、自分がそこからかけ離れていることに劣等感勝手に抱えてる。
笑えるけどこれが結構深刻だと思うとまたそれ自体にがっかりする。
出先で買い物しようと思っても中途半端な覚悟ではその場に立ち竦んでしまって帰宅か、ちょうどいいカフェに逃げる以外なす術なし。
で、今日帰りにコーヒー飲もうと思ってタリーズに寄った。
途中のエスカレーターで店員さんに話しかけることを想像しちょいと死亡。
あることないこと想像し、毎日ちょっと死んでる。心鍛えるのってどうやるんだっけ。あんまり会ったことない友達とかでもめっちゃ恥ずかしくて超喋っちゃう。ネタバラシも恥ずかしい。誰か会いませんか?お茶でもよければおしゃべりしたいです。鍛えさせてくれ。会ったことをまとめた本とかってもう古いかなでもそう言うのやったらどうかねみんなたのしいでしょ!
練習だと思って付き合って欲しいな〜話めっちゃちゃんと聞くしめっちゃ考えて喋るよ!うはは
そんでどうして店員さんと喋るのが嫌なんだろうって考えた。そしたらびっくりよねこう言う時って一瞬で答えが降りて来んのよほんと久しぶりに天使舞い降りた。
わたし、自信がなかったの。
びっくりよそんな単純なことだったのよ。
原因がわかったらあとはそれを虱潰しにもうがんばるだけ。
自信をつけるために身なりを整え、外に出ていく訓練をするだけ。
わたしが嫌いなのは閉鎖的であることと自惚れで支配された嘘っぽい全てのもの
この時代に自信なんて必要ない。ただ自分の本当に嘘つかないことが大事。それは趣味嗜好を大っぴらにすることではないよ。適材適所とかそう言う言葉もあるからそう言うことじゃない。そういう自分に後付けされたものじゃなくて体とか心の奥底を爪が剥がれるまで掘ったところのこと。
でもそういう趣味や嗜好をカミングアウトすることで体や心の問題が解消されるようになったりもするからちょっと難しいね。ま、わたしはそういうのはないからとりあえず置いておこう。もちろんちゃんと意見することもできるけど文字では伝えられない。大丈夫だよと抱きしめてあげるような文章を自分が書けているとは思えない。でももしあなたが抱きしめられているようだとかそう思ったのならそれで正解だと思う。
書き手や作り手から離れていってぐにゃりと形を変えるものにほど魅力を感じる。見てくれる人の心や頭がわたしの作ったものを変えてくれる。新しい発見はいつでもわたしの知らないところからやってくる。
育った景色や、かんじたことや、傷を背負った言葉やあなたのことが本当に大好きだ。
こう思われたいとかこう言って欲しいとかそういうのなしに来て。冬の朝のフレッシュさを心に持っていたらいいのよ。
改めて言う世界は愛に溢れている。そう見えないのなら悲しいこととかもうどうしようもないことが邪魔しているだけだから。
少なくともわかりやすい細やかな愛ならばここにすぐある。愛が滞ってると感じたらここへおいで。素直な気持ちでね。
自信つけるために鼻にピアスでも開けようかなどうかな。